水野勝仁(甲南女子大学文学部メディア表現学科)
日本映像学会第50回大会@九州産業大学 2024.06.02
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👁️🗨️ 発表の流れ
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《Layered Depths》が示す「マルチレイヤードなメディア体験」に基づく映像体験
- ヨフ(YOF)
- 大原崇嘉,古澤龍,柳川智之による視覚表現の現在性を捉え直す実践を行うグループ
《Layered Depths》2023
映像とディスプレイを「即ちの関係」で捉える
イメージに内在する空間,それらが配置される擬似空間,鑑賞空間など様々な異なる奥行きが交差し合う.19世紀の鉄道や写真技術の発達から生じた風景の異化/同化の感覚を,現代のマルチレイヤードなメディア体験に重ね展開している.
ヨフ「流れる窓,追い越す目」会場リーフレット
- イメージに内在する空間,擬似空間,鑑賞空間/現代のマルチレイヤードなメディア体験
- 擬似空間と鑑賞空間とが先にあり,そこにイメージに内在する空間を配置する
- 鑑賞空間に配置されたディスプレイを左から右に,手前から奥という順番で番号を振って,作品を記述を行う
- ないけどあるような感じとともに擬似空間の平面が現れる
- ディスプレイ2と3とのあいだに木の壁があるのにないと感じる
- ディスプレイ6に木の壁が表示されていないのはなぜか
- 鑑賞空間に配置されたディスプレイがつくる平面とイメージに内在する空間がつくる平面とが干渉している
- 干渉した結果として,木の壁がディスプレイ6に表示されていないけど,そこにディスプレイがあれば木の壁あるように感じられる主観的な平面が現れる
- 主観的な平面は「現代のマルチレイヤードなメディア体験」をしている鑑賞者に現れ,「前面」「背面」といった「レイヤー」を感じさせるもの
- ヨフはコンピュータに接続されたディスプレイが示すマルチウィンドウや複数のディスプレイを見ながら作業することが当たり前になった状況から生まれる「マルチレイヤードなメディア体験」を作品の認知に組み込んでいる
- この体験とともに生じる視覚的にないように見えて,情報的にはある平面として現れてきた「レイヤー」の感じを伴った空間を「擬似空間」と名づけていると考えられる.
- 鑑賞空間で起こる視点の移動によるイメージに内在する空間の見え方の変化
- ディスプレイ2によってディプレイ6の木の壁が表示されているかも知れない場所が物理的に遮蔽される
- ディスプレイ2が示すイメージに内在する空間がディスプレイ6を覆う
- 物理的な位置関係が優先された状況で二つのディスプレイに表示されるイメージに内在する空間が認知されていく
- 《Layered Depths》が示す映像と物質との干渉
- ディスプレイが表示するイメージに内在する空間と複数のディスプレイが配置された鑑賞空間のどちらを優先的に認知するべきか
- 複数の映像のつながり以前に,ディスプレイが物質として空間に置かれた位置関係が作品体験に大きな影響を与えている
- 「映像を見る」という体験は,ディスプレイという物質とそこに表示される映像との絶えざる干渉のなかで進められる認知プロセスとともに生じる
- 認知プロセスにおいて物質と映像との干渉を調整する主観的な擬似空間が生じることもある
- ディスプレイに映像を見るという体験
- 空間におけるディスプレイを物質と映像とに分けて考えることはできない
- 空間におけるディスプレイ=物質と映像→光配列情報→網膜→電気信号→物質と映像がそれらを調整する主観的な擬似空間に配置される
- 情報は物資と映像を認知するときに暗黙のうちに前提にされている存在である
- 「映像を見る」という体験は物質,映像,情報が絡み合った複雑な認知プロセスになっている
「データ +意味としての情報」は認識の側に寄せた情報概念であり,「物質としての情報」は存在の側に寄せた情報概念である.その中間にあるのが「差異としての情報」である.差異は物理的でも認知的でもあり得るからである.あるいは,より踏み込んで両者を組み合わせることで,「情報とは認知的差異を生む物理的差異である」と言うことも可能である.もちろん,ベイトソンらがそのように意図して「情報とは差異を生み出す差異である」と述べたという意味ではない.ベイトソンは情報概念をより認識の側に寄せる論者であり,それを汲めば「情報とは物理的差異を生む認知的差異である」と表現した方がより適切である.
丸山善宏『万物の理論としての圏論[Kindle 版]』,p. 107
- 「情報とは認知的差異を生む物理的差異である」|「情報とは物理的差異を生む認知的差異である」
- 認知プロセスで物理的差異と認知的差異とが処理される順番の入れ替わりも可能
- ディスプレイに映像を見るという体験を物理的差異と認知的差異をどちらかを優先した順番で処理していく認知プロセスとして考えるため
- 丸山の情報概念から映像体験を記述する
- ディスプレイと他の物質とを区別する物質的差異の処理→映像を他の光と区別する認知的差異の処理
- =情報とは認知的差異を生む物理的差異である
- 物理的差異が情報として処理されるときの物質はどうなっているのか
今私にあれこれのものが見えています.そのとき私には見えてはならないあれこれが同時に起っているのです.光だとか脳とかです.それは物理学者や生理学者がいろいろな器具や理論を使って確かめたのです.つまり,「見える表」は即ち「見えない裏」でもあるのです.しかし,「見えない舞台裏」でいろいろの事が行なわれその結果「見える舞台」が生じた,というのではないのです.ここには舞台裏はありません.一つの舞台の上に「見えるもの」と,例えば空気や光のような「見えないもの」とがあるのです.「見える」を表,「見えない」を裏と呼べば上のように表と裏の比喩になりますが,実は表裏一体なのです.表裏一体なのですからその一方が何かで変化をうければ,それはとりもなおさず他方の変化でもあるのです.それで,「原因結果の関係」ではなくて「即ちの関係」だといったのです.
大森荘蔵『新視覚新論』,p. 326