水野勝仁(甲南女子大学文学部メディア表現学科)

日本映像学会第50回大会@九州産業大学 2024.06.02


<aside> 👁️‍🗨️ 発表の流れ

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《Layered Depths》が示す「マルチレイヤードなメディア体験」に基づく映像体験

《Layered Depths》2023

《Layered Depths》2023

映像とディスプレイを「即ちの関係」で捉える

イメージに内在する空間,それらが配置される擬似空間,鑑賞空間など様々な異なる奥行きが交差し合う.19世紀の鉄道や写真技術の発達から生じた風景の異化/同化の感覚を,現代のマルチレイヤードなメディア体験に重ね展開している.

ヨフ「流れる窓,追い越す目」会場リーフレット

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「データ +意味としての情報」は認識の側に寄せた情報概念であり,「物質としての情報」は存在の側に寄せた情報概念である.その中間にあるのが「差異としての情報」である.差異は物理的でも認知的でもあり得るからである.あるいは,より踏み込んで両者を組み合わせることで,「情報とは認知的差異を生む物理的差異である」と言うことも可能である.もちろん,ベイトソンらがそのように意図して「情報とは差異を生み出す差異である」と述べたという意味ではない.ベイトソンは情報概念をより認識の側に寄せる論者であり,それを汲めば「情報とは物理的差異を生む認知的差異である」と表現した方がより適切である.

丸山善宏『万物の理論としての圏論[Kindle 版]』,p. 107

今私にあれこれのものが見えています.そのとき私には見えてはならないあれこれが同時に起っているのです.光だとか脳とかです.それは物理学者や生理学者がいろいろな器具や理論を使って確かめたのです.つまり,「見える表」は即ち「見えない裏」でもあるのです.しかし,「見えない舞台裏」でいろいろの事が行なわれその結果「見える舞台」が生じた,というのではないのです.ここには舞台裏はありません.一つの舞台の上に「見えるもの」と,例えば空気や光のような「見えないもの」とがあるのです.「見える」を表,「見えない」を裏と呼べば上のように表と裏の比喩になりますが,実は表裏一体なのです.表裏一体なのですからその一方が何かで変化をうければ,それはとりもなおさず他方の変化でもあるのです.それで,「原因結果の関係」ではなくて「即ちの関係」だといったのです.

大森荘蔵『新視覚新論』,p. 326