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リアクションと質問まとめ

質問への回答で皆さんと共有したいこと

AIが一国の電力消費量を使うほどのものであったとしても、人間とAIの組み合わせで現在世界で起きている問題を一つでも解消できるなら、そこにAIを発展させる価値があると考えています。人類が単独で思考してきた結果として現在の状況があり、それがうまくいっているとは私は考えていません。人間とAIがともに考えることで新たな解決策が生まれ、それが世界をより良い方向に導くとすれば、そこにAIの真のメリットがあると思います。

同じような視点でAIを捉えているインタビュー

https://wired.jp/article/wired-innovation-award-2025-takashi-ikegami/

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私が現れるまでに、Wikipediaの「メディアアート」を読んでおいてください。そして、読んだときに、自分がどのようにこのページを読んで、その読み方に関して何を感じたのかをメモしておくと、授業が一層興味深いものになると思います。

リンクは体験の順番を置き換え可能にして、情報を変形するものである

前回の授業で、私たちの体験が、身体と一体化した〈視界〉から、スマートフォンをかざすという行為によって、フレームに切り取られ操作可能な[視界]へと変換され、さらにシャッターを押すという行為によって、固定された「モノ」としての「イメージ」へと姿を変えていくプロセスを確認しました。

前回は、スマートフォンの操作可能な[視界]と対比するために、人間の〈視界〉を、光をいわば「受動的に」受け入れる体験として捉えました。しかし、今回は「見る」という行為そのものの本質に、さらに深く踏み込んでみましょう。実は、私たちが無意識に行っている「見る」という体験は、その根源において、世界を探索する極めて「能動的」な行為なのです。

見ることは行為である:リンク体験の前提

私たちは普段、「見る」ことを、世界からの光を目が受動的に受け取るプロセスだと考えがちです。しかし、『行為する意識』という本によれば、その考えは根本から見直される必要があります。

例えば、私たちの眼球は、何かをじっと見つめているときでさえ、実は止まっていません。「固視微動」と呼ばれる、1秒間に90回ほどの非常に微細な振動を続けているのです。この動きは、まるで触覚で物の表面をなぞって材質を確かめるように、網膜とそこに入ってくる光をいわば「こすり合わせる」ためのものです。この絶え間ない動きによって、私たちは能動的に像を生成し、世界を探っているのです。

固視微動の一種でトレモア( tremor)というものがあるが、これは 1秒間に 90回程度、角度にして 0・ 02度以下で震えるように眼球は動きつづけている。この固視微動の効果を実験的に止める方法がある。眼に特殊なコンタクトレンズをつけたうえで、コンタクトレンズと連動して視覚像も動くようにすればよいのだ( 38)。これで何が起こるかというと、視覚像はだんだんと消えていってしまう。つまり、網膜は光を受動的に受けて反応しているのではなくて、固視微動によって積極的に網膜を動かすことによって、網膜の色素細胞を活動させているのだった。まるで触覚において手を動かすことで物体の表面の材質を探り当てる(「アクティヴ・タッチ」と呼ばれる)のと同じことが、視覚においても起きていることがわかる。眼球を細かく振動させることで、入ってきた光と網膜の視細胞とをいわば「こすり合わせている」のだ。位置649/5337

吉田正俊・田口茂『行為する意識──エナクティヴィズム入門』

つまり、「見ることは、世界を探るための行為である」と言えます。この視点は、私たちがこれまで論じてきた〈視界〉や[視界]の体験、そしてこれから論じるリンクの体験を、一つの地平で捉えることを可能にします。

そして、これから考える「リンクをクリックする」という行為も、これらと同じ地平にある、世界と関わるための能動的な行為なのです。

リンクをクリックするという行為は、単に命令を「入力」しているのではありません。それは、安定している現在のページ体験に対して、意図的に「擾乱(じょうらん)」、つまり揺さぶりをかける行為です。この揺さぶりによって、私たちの認知は別の状態(リンク先のページ体験)へとダイナミックに移行するのです。

「見る」こと自体が行為であるという土台の上に、リンクという、より意図的で強力な「行為」がどのように私たちの体験を形作っていくのか。この前提を持って、次の議論に進んでいきましょう。

Wikipediaの「メディアアート」の項目

Wikipediaの「メディアアート」の項目

Wikipediaの「メディアアート」をリンクを意識して読むと体験が変化する?

この授業は「メディアアート概論」なので、Wikipediaの「メディアアート」の項目を読んでもらいました。そのときに「リンク」を意識したでしょうか? このページで青字や赤字になっている文字列は、そこにリンクがあることを示しています。リンクされた文字列をクリックやタップすると、別のページへ移動します。パソコンで読んでいる人は、カーソルをリンクされた文字列の上に置くと、リンク先のページの情報が少し表示されます。もし先に読んでもらっている時に、リンクを意識したとしたら「読む」という行為に擾乱が起こっていたことになります。

「メディアアート」の項目を「外部リンク」まで、リンクを意識しながら読んでみましょう。その際、何を感じたり考えたりしたかをメモしてください。何が起こったのかの詳細は後ほど私の体験を例として話しますが、おそらく多くの人は「読む」という行為に変化が生じたのではないでしょうか。

単純な変化としては、リンクをクリック・タップして別のページも読んだということが挙げられます。あるいは、リンクを無視して最後まで読み通した人もいるかもしれません。いずれにしても、リンクを意識すると、文字列を読むだけでなく「リンクにどう対応するか」という判断が読書体験に加わることになります。

リンクを意識することで起こる変化