水野さんの直感:
問いの反転:
「30年後のウェブマガジンは、ギャラリーや美術館に行かなくなった人のために、何を届けるべきか」
「これでいいや」と変わることを止めた身体にとって、インターフェイスは何をするべきなのか。あるいは、そもそも「アート情報」という形式自体が合わなくなるのか。
水野さんの発言:
あなたと対話しているように、対話しながら、アート情報がえられるといいなとおもいます。チャットベースのインターフェイスになるのかな。でも、それは今のAIのインターフェイスにひきづられているかなとも思う。
引きずられている=インターフェイス体験の蓄積が想像力を制約している
「対話」と考えた瞬間に「チャット」というインターフェイスが立ち上がる。でもチャットは、対話の一つの形に過ぎない。
78歳の身体にとって、「対話」は違う意味を持つかもしれない: