水野勝仁 甲南女子大学文学部メディア表現学科 准教授
July 6, 2024 1:11 PM (GMT+9) 古澤さんの作品
**時間軸をいじることで岩が生き物になる感じ。**私が見ている視界は私が今見ているようにみえなくてもいい。別の見方でもいい。「別」のリアリティがある。では、なぜリアリティを感じるのか? ガラスが液体であることを実感させてくれる感じがあった。この実感を元に考察してみたい。
July 6, 2024 2:22 PM (GMT+9) 古澤さんの作品に戻る
時空間の粘性という言葉が思いついた。ピクセルによって、時空間がネバネバし出す。点がネバネバする。時間軸ではなく時間平面。文字通り、時間を平面で捉える。
この作品を説明ではなく、描写することは可能だろうか?
イメージオブジェクトと似ていて、あるときに記録されたピクセルの情報のみを操作する
ある地点tが別の平面に置かれる。 大森荘蔵『新視覚新論』の議論を思い出す。ひとつの平面にある時点が複数化しているのを描写することは可能か?
基本的には4次元での体験。次元を増やしていないからこそのリアリティというか、引っ掛かりがある。点を四次元以降に拡張しないところにリアリティへの引っ掛かりがある。
ある時点tの複数視点ではない。ある時点tに捉えられたピクセルの集合平面、もしくはカメラの「視界」‼️

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目次
第1章 眼の認識論
第2章 本性への忠誠
第3章 機械的客観性
第4章 科学的自己
第5章 構造的客観性
第6章 訓練された判断
第7章 表象[リプレゼンテーション]から提示[プレゼンテーション]へ
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機械的客観性と120FPS4kの記録方式
著者たちはまず、認識活動を統制する三つの体制レジームがあるという。一つ目は17世紀以来存在する**「本性への忠誠(truth-to-nature)」。次いで、19世紀半ばに登場した「機械的客観性(mechanical objectivity)」。最後に20世紀初頭にあらわれた「訓練された判断(trained judgement)」**である。この三つの認識レジームのうちもっともわかりやすいのは、客観性そのものとしばしば同一される「機械的客観性」である。これは、**認識を行う科学者の主観を可能な限り排除することを理想とする。**このレジームの下で、科学者は主観性による影響を避けるためにあらゆる手段を講じる。たとえば、測定や描写を自動化する機械を導入したり、それができない場合には一定の規則に機械的に従うことで、科学者自らの身体がはらむ主観性を排除する。(強調は水野による)
本作では、打ち寄せる波と岩を固定カメラ長時間撮影により撮影した動画記録を素材とした。 そこには3時間半にわたる光と潮の変化と120FPS4kの記録方式により、人の目には捉えられない波の細かな動きと飛沫の一つ一つの形までを収めている。
https://ryufurusawa.com/midtide3
本性への忠誠・訓練された判断とつくりあげる力を身につける映像
本性への忠誠の時代において、図像とは理想化された世界への霊感による通路であった。のちの図像は、この世界そのものについてのものとなった。その自動性は、高らかに宣言された客観性の名のもとに、図像を自然に属するものとし、私たちとは何らか関わりのないものにすることを目指した。訓練された判断が下されるときには、図像は私たちと私たちでないものとのあいだに架けられた橋であった。そしていまや図像は、部分的には道具一式[ツールキット]に、部分的には芸術になりつつある。だとしたら図像とは何なのだろうか。ナノファクチャラーたちは図像を美的な対象として、あるいはマーケティングとして利用する。そうしながら彼らはつねに、図像を通して原子サイズのすばらしい新世界を創造し、操作しているのである。**科学的図像は、つくりあげる力を身につけるとともに、表象という側面を完全に脱ぎ捨ててしまいつつある。**再び図像は変わりつつあるのだ──科学的自己とともに。p. 336(強調は水野による)
第7章 表象[リプレゼンテーション]から提示[プレゼンテーション]へ ロレイン・ダストン、ピーター・ギャリソン『客観性』